我が道を楽しく行こう

連休明け、遠方の実家に住む、まもなく誕生日の母に電話しました。

プレゼントの下調べも兼ねて、お互いの近状を伝え合います。

 

母「お前んトコは何時も楽しそうで安心する」

 

父も母も、昔の農村ですから、多産系です。

父は5人兄弟。

母は7人兄弟。

大家族の長男・長女な両親は、のどかな田舎の農村にいながら、兄弟とその子供(もやっぱり多産系?)達に、日本中から「近状報告」を聞いています。

都心に近いほど、状況も厳しく暗い話ばかりで、田舎に行くほど、明るくなります。

 

母「この前、(母の妹の娘の)Kちゃんと中学校の裏山でゼンマイ採ったんだよ」

私「あー、私いた頃から穴場だったよね(笑」

 

そして、最近のおチビのおねしょ事情に、おチビも一緒に大笑い。

 

 

我が家は貧困の一歩手前位で、決して裕福ではありません。

夫婦共に技能や知識が、特に秀でている訳でもありません。

人脈に富んでいる訳でも、ありません。

ましてや私はコミュ障害なので、自慢できる程の人脈のなさ。

しないけど。

ん、コレしてるのか(笑

今はなくても20前後の頃は色々やっていたから、週末集まろうぜと声かけたら50人超えて店入らねぇとか、まぁ色々あったな、そう言えば(遠い目

心労で、一日5食+間食しても、3日で5キロ痩せた事もありました。

色々あった。

多彩な人生経験が、今の私を作っています。

不運も不幸もドンと来い!

何が来ようと、私は楽しく笑顔で進む

 
母「(私の)姉ちゃんにコッチ来いって言ってるんだけど、向こうが良いってさ」

コンビニはおろか、自販機すら家から遠い実家よりも。
山影で衛星放送の受信も出来ず、ネット環境もない田舎よりも。
土を耕し、土から抜いてきたばかりの、土や虫のついた野菜よりも、スーパーで売っている形の良い奇麗な野菜が良い。
虫や動物の声がうるさい田舎よりも、車や店内放送も賑やかな都心が良い。
人々の喧騒も何もかも豊かな都心が良い。

親族の不幸を聞きつつ、母と私が発する言葉は同じです。

「頑張れ。嫌になったら田舎で長閑に暮らせ」

当然ながら、田舎に来る人(親族)はいません。

まだw

 

 

ちょっと話がズレ(た?)ますが、私はロックダウンも自粛も反対派。

コロナの話が出た昨年から、周囲には「免疫強化」を勧めています。

現代の人間は、過去様々な病原体を克服した遺伝子を持っています。

だから、免疫力を上げればいい。

過剰な消毒や衛生管理は、無菌室と同じ。

無菌室に長くいれば、身体の免疫や抵抗力は落ちていきます。

心も同じ。

どんなに屈強な人間も、ストレス過剰なら病気になります。

孤立や孤独のストレスって普通の人には想像出来ない程の悪影響が出ます。

マリーアントワネットが一夜で白髪になった話は、結構知られてる?

 正に、病は気から。

ただ、心が折れなければ、どんな苦境も楽~に超えるんですよね(笑

 

このGW、私もおチビと車で外遊び出来そうな所に行きましたが、駐車場にロープ、遊具にもロープ。

果ては駐車場に「自粛」とデカデカ書かれた看板を持った職員や、入ろうとする車のナンバーを控える人・・・マジデスカ

今、世界中で自粛やロックダウンが騒がれる中で、自粛も封鎖もしなかった国が、幾つかあります。

有名な所でスウェーデンベラルーシカンボジア

営業自粛もなく、勿論パンデミックですから国内に感染もあり重症化した人がいても、医療崩壊はしていません。

普通に出勤、登校して暮らし、GWも長閑に公園でくつろぐこの国々こそ、正に「勝利国」。

そんな彼らの様子は、自粛や封鎖で大騒ぎした人々は、どう見るでしょう。

妬みますか?

羨みますか?

自分達はこんなにも苦しんでいるのに、と。

同じウィルスに対し、多大過ぎる犠牲を払って必死に抵抗しているのに、どうして平和に楽しく暮らしているのか、と。

そしてダークな波動をまき散らし、穏やかな人々へ襲い掛かっていくでしょう。

過度な犠牲と苦悩にまみれた自分達こそ、正しいのだ、と。

 

もし私に卓越した能力や財力があれば、苦しむ人々を救いに行くでしょう。

でも今は、今生は見事にありません(笑

自分の無能を悔やんで気を落とすのは、やめましたw

ただ、周囲の闇波動に流されず、自身を光へ向け続ける。

笑顔で楽しく、光波動を出す努力を続けるのみ。

 

少し前の記事でも書きましたが、人それぞれ、自分の人生を歩み、学んでいます。

借金に苦しむ人は、借金をするとどうなるか、を学んでいます。

変な宗教に囚われた人は、変な宗教に入るとどうなるか、を学んでいます。

悪い男に引っ掛かる女性は、どうなるかを学び、自分がそれに気付くまで、次々と悪い男に出会います。

非情とも見えますが、私なり他者がそれを助けるのは、その人の学びを邪魔する事になります。

言っても聞かない人は、もっと学びたいのです。

その苦悩の先を経験したいのです。

だから、温かく見送りましょう。

その先が周囲も巻き込んで不幸と苦悩に終わったとしても。

その道が、互いに拒絶し、倒し合うような闘いの日々だったとしても。

 

何時の日か共に笑顔で、語り合いましょう。

 

きっとそれは、今生ではなく。

何代も転生を繰り返した、遠い未来の先であっても。

光溢れる穏やかな世界で、晴れ晴れとした笑顔で。

闇と苦悩に満ちた人生すらも「良い経験であった」と、語り合いましょう。