豊かさに感謝

今の時代は、確実に便利になってきています。
自分の子供の頃と比べたら、今の生活は格段に向上してます。
少なくとも5年前の携帯より最新のIphoneのが絶対、良い。

 

私の出生地は、未だに自販機にも自宅から車で10分以上?という、本当に田舎で(笑

結構な範囲を自活していました。

と言うか地域的に私のところは田舎で、学校に行けば他の皆は普通に町の子でした。

クラスの中でも私の家は、お金を使わないだけで貧乏ではないという、微妙さ(笑

物や技術も、親から子へ。

家も、父が結婚して本家から出た時、父と本家の親族がトンカチ持って自作しました。

流石に機織機はなかったけど、祖母には蚕や羊毛の糸巻き知識がありました。

幼少期の服も知人や親族間のお下がりが多かったかな?

農作や山菜取りで物々交換。

食事も、ほぼ自給自足で、外食はおろか、スーパーで買う食品が特別な印象でした。

地元では鶏や牛は飼っていたけど豚は殆どなくて、今でも豚肉が牛肉より特別に感じます(笑

高価な物は、車や農機具みたいなのはもう、特級品で、100年超えの手作り農具も、地域の皆で使い回して、壊れても直して直して。。。

 

大量消費の現代では信じられない生活を、ギリギリ幼少期に経験出来ました。

昔は自分達で材料を集め、一から手作りしていたから、特に高齢な方ほど、とても大事に道具を使い、食材を余す事なく使い切り、ゴミもほとんどない生活。

それが消費時代へと移り変わるのを、身を持って体験出来ました。

とても貴重な経験です。

 

今の大量消費時代。

私達の生活の中に、野山や海で材料から自分で集め、一から全て手作りしたものは、あるでしょうか?

来ている服も、大抵は購入した既製品。

例え自分で仕立てたとして、布は?

糸は?

ボタンやチャックは?

もし、全て自分で作るとしたら、店頭では安価な物も、どれ程の手間が必要でしょう。

自分で働いて得たお金を対価だと、当然のように使い、文句を言う人もいるけれど。

もしも、全て一から自分で作るとしたら、同じように粗野に扱い、文句を言えるでしょうか。

 

店頭にあるおにぎり一つ。

それをご飯からおにぎりにしてくれた人がいる。

機械で大量生産されていても、機械を操作する人がいる。

出来たおにぎりを店頭に運んだ人がいる。

店頭に並べて販売する人がいる。

おにぎりの材料のお米も、農家が田んぼを耕して収穫したもの。

「米」と言う文字は、「コメを作るには八十八の工程がある」の「八十八」を一文字にしたのだそうです。

その位、とにかく沢山の、手間暇と労力が注がれています。

現代では田んぼの肥料も農家以外の人が作っていたりと、昔と違い、農家だけでは稲作は出来ません。

農耕具も、誰かが作ったモノ。

 

おにぎり一つ。

 

そこには、どれ程の人が関わっているでしょう。

たかがおにぎり。

でもそこには、本当に多くの方々が関り、やっとその人が口にする事が出来る。

個人一人の労働で得たお金を対価だとするには、金額的にはそうだとしても、関わって下さった沢山の方々に気付いたら、感謝したい。

 

私達の生活にあるもの全て、他の誰かが作ったモノ。

 

 蛇口をひねれば簡単に出てくる、水。

蛇口の部品を作った人がいる。

水道管を引いてくれた人がいる。

水道に通す水の水質を管理してくれる人がいる。

沢山の人の関りがあり、蛇口をひねると水が出る。

私は雪国生まれなので、朝起きると水道管が凍って水が出ないなんて良くある事でした(笑

だから、家中の水が出ない、貴重な経験がある。

現代はどうでしょう。

蛇口をひねると水どころか、お湯が出るのも当たり前(笑

 

身近にある、どんな小さなものにも、誰かの関りがある。

当たり前のように感じて気付かず、或いは忘れてしまっていても、実際には本当に多くの人達と自分とは互いに関り、助け合って、生きている。

 

人間の欲は尽きず、より多くの豊かさを、快適さを、もっと便利にと、日々進んでいく。

今、自分達が、どれ程豊かな生活を送っているか。

それは決して「当たり前」などではなく。

もし気付いたら、感謝を。

ありがたい、ありがたい。

 

全ての方に良き事がありますように(^人^)