ゆるす

ゆるす、ゆるゆる
ゆるす、ゆるせば、ゆるすとき

許せば、世界が広がります。
許せば、魂が向上します。
自分を許して。
相手を許して。
許せない自分がいたら、許せない自分がいる事を、許して。
許せない相手がいたら、許せない相手がいる事を、許して。

許して、許して、許していく。
とにかく、どんどん、許していく。


魂的な話です。
コレだけ書くと
「無理!」
「絶対出来ない!」
そうです。
魂的に、コレは永遠に続く課題だから( ̄▽ ̄;


ではコレを現代の精神論的に解いていきます(wb

私の考えで言っちゃうと、魂的な「許す」とは、「第3者の視点で観察し、存在を認める」です。
自分の事を、他人事のように眺める。
見えたモノを、否定せず、存在を認める。
「ある事を許す」


試しに「ピーマンが嫌い!」な自分を解いていきます。

「私、ピーマン嫌い。だから食べたくない」

ピーマン自体は、何も悪くありません。
他の多くの方は普通にピーマンを食べますし、「大好き!」と好んで食べる人も沢山います。
その人がピーマンを食べないのは、その人が嫌いだからです。
だからまず、ピーマンを嫌っている自分の存在を、認めます。
ピーマンが食べられない自分を、認めます。

食べられない → 出来ない

自分に「出来ない事」がある、と認めます。
「出来ない事」を否定すると、この場合は「食べられない事」が恥ずかしく感じます
弱点を周囲に知られたくないと、隠します。
周囲に誤魔化します
人前で、食べたくないのに無理に美味しそうな演技をして食べても、全然嬉しくないですよね。
むしろ苦しいです。
嫌な思いが増えるだけです。

ゆるす、ゆるゆる

ゆるせないと、自分が苦しい。
ゆるせば、心も緩みます。
緩んだ分だけ、広がります。

ピーマンが食べられない自分を恥じて隠すより、堂々と
「俺、ピーマン嫌いなんだよ」
って、笑って除けた方が、素敵です(笑
ピーマン嫌いでもいいじゃない。
誰にだって好き嫌いや苦手はあるんですから。
嫌いな事を隠して、食べれるフリして、自分をギュウギュウと縛り上げて苦しむより、堂々と「食べれないんだよ」って、皿の端にでも除けちゃった方が良い。

もし、今生の課題で「ピーマン克服」があったとします。
転生で全部リセットされて真っ白です(笑
だから課題もすっかり忘れて「ピーマン嫌い!」になっちゃいます。
ここで、自分の出来ない事に気付けたら。
それで十分に進歩です。
「出来ない」は「出来る」に変えられる。
出来ないと立ち止まらず、出来る方向へ進める。
そして「出来る」に変えるのは、今生でなくても良い。
魂は永遠だから。
今生で出来なくても、来世で出来ればそれで良し。
進む速さは、人それぞれ。
急ぎたい人は頑張って走れば良い。
ゆっくり行きたい人は、立ち止まりながら、時に戻りながらも、進めば良い。
間違えたら、間違いに気付いたら戻って来て、また良き方へと進めば良い。

ゆるす、ゆるゆる

ゆるせば、締め付けている何かが取れれば、取れた分だけ、魂も大きくなります。
ゆるした分だけ、成長します。
視野が広がります。
だからどんどんゆるして、ゆるして、自分を縛っているモノを解いて、ゆる~ぅく、していく。


この例えが「ピーマン嫌い」だから、簡単な事に見えるでしょう。
小さな例えに見える人も、いるでしょうね(笑
誰かの悩みを「小さい」と言うのは、周囲が見えないお山の大将ですので要注意。
魂の大きさはそれぞれです。
抱える悩みや問題は、その人の心のどの位を占めるかどうか、です。
国のTOPが国営の悩みに心の8割使うのも、ピーマン嫌いで8割使うのも、その人の心を占める比率ば同じ。

大切なのは、その悩みがその人の心をどの位占めているか、です。
大学生が小1の足し算のミスに「そんな事も出来ないのか!」って馬鹿にしていたら、周囲はその大学生をどんな目で見ますか?

ゆるす、ゆるゆる

これに劣等感が絡むともう「絶対無理!」という否定に攻撃が加わるんですよね(^^;


ではっ!
お試しの「ピーマン」を、今、自分が嫌いな何かに変えてみます。
一気に難易度UP!!(笑
色んな角度から、他者の視点で、自分を観察する。

結構な人がはまっている落とし穴に「自分は正しい」
自分が常識。
自分が正解。
昔、職場の同僚の一言にハッとしました。

「私が面白いんだから、アンタもも面白いでしょ!」

私と貴方は違うよ?
他者の視点は、無限にある。。。