お盆にお三気(ミキ)を

正直言って、お盆とか、お墓参りとか、私はそんな、真面目にやって来てません。

なので仏教のお墓知識や作法とか、疎いですw

ただ、世間一般、この時期が近づくと、店頭にお供え菓子が並び、お墓参りや帰省の話題が増えてきます。

私には年の離れた弟がいて、今年は、弟の7回忌になります。

コロナなご時世ですから、今年は7回忌らしき事はせず、私も帰省しません。

実家へは例年通り、お盆に合わせてお供え菓子やロウソク、線香等を送りました。

弟の好きだった珈琲の香りのお線香も送ります。

暫くして、店頭のお供え菓子等見ながら「なぁ、弟。珈琲の線香はつけて貰えたかい?」なんて考えていたら

 

「まだ」

 

━━━━ぇ? ( ゚ ゚;

開封で他の線香と一緒に置かれてる珈琲線香のイメージが頭に・・・

もしや、この「まだ」ってお前か、弟よ(笑

母は届いた次の日から使ってそうだけど。。。

試しに実家の母に電話して聞いてみました。

 

母「なぁんか忙しくって、まだ開けてないよ」

 

母は実家の畑を一人で管理していて、この頃は昼夜を問わず、お猿軍団と格闘中でした(笑

珈琲線香も一緒につけてやってよ、等と話していると、母がポツリとこぼしました。

 

母「お盆の墓参りの他にも何かしてあげたいけど、何してあげたら喜ぶか解らない」

 

前書きに500文字以上使ってしまいました(笑)

やっとタイトルの「お三気(ミキ」の話です。

「神に捧げるお神酒とは、お三気の事」

そんな話を、母にしました。

お三気とは3つの「き」の事。

「嬉し

「楽し

「有難

収穫を祝う祭りも、収穫出来た事への「嬉しさ」と、祭りでにぎわう「楽しさ」と、収穫に対する「感謝」の気持ち。

嬉しい、楽しい、ありがたい。

この三つの思いこそ、神々に最も喜ばれる捧げもの。

それは祖先、ご先祖様へも同じ。

お墓や仏壇を豪華にしても、喜んではもらえないと思うし、逆に私財を使わせた事を申し訳なく思われてそうです。

それにもし、自分の墓が豪華になって喜ぶ魂だとしたら、それだけ見栄が強いとか、そんな魂な気がします。

また親が先だった我が子に「もっと色々してあげたかった」等と思うのも、人としては当然な感情かも知れないけれど、結局は残された者の自己満足であり、霊になった方へも「色々してもらえなかった!」みたいな未練を増やしてしまうかもしれません。

また生前の苦労を出して来て「苦しかったね、辛かったね、大変だったね」等と同情するのも、鬱々となるだけで、前進はない気がします。

死んだら現世の事は見聞きするのみで、何の関与も出来ないでしょうから、陰鬱な波動を生産し続けて他界先まで届けても「どうしろって言うんだよ」と困らせてしまいそう(笑

 

それよりは「ありがとう」と、感謝を。

 

先祖の功績の恩恵を、現世で受けている事に、感謝を。

それがどれ程喜ばしい事か。

嬉し、楽し、ありがたき事であると、喜んでお伝えするのが、本当に一番の供養ではないか、と思います。

 

弟に関しては、私は高校が下宿通学でしたので、実家で共に暮らしたのは弟の幼稚園時代まで。

また進学で上京して就職後、同じく上京、就職した弟と数年共に暮らしました。

お供えセットを送った後は、意識して弟との記憶を思い返しました。

小さい頃の可愛かった事、大人になってからの共同生活。

色々あって、楽しかったね。

面白かったね。

良き思い出に「ありがとう」。

今生で「姉」を経験させてくれた事に、ありがとう。

「弟」として共に生きてくれて、ありがとう。

 

──ありがとう。

 

苦労や失敗話よりも、謝罪や後悔よりも、嬉しい、楽しい、ありがとうの気持ちを届けてあげるのが、一番の先祖供養。

お通夜だって、集まった方々に、生前の楽しかった事を酒飲んで盛り上がりながら語って貰った方が、きっと嬉しい。

私の話を聞いて、やはり我が子に先立たれて気の晴れなかった母は、何かが吹っ切れた様子。

 

 

余談ですが、弟の供養にと毎年同封していた「タバコ」を、今年は忘れてしまいました(笑

珈琲よりタバコだったかなぁ、タバコ欲しい?

 

「いらね」

 

その言葉と共に、弟が生前禁煙に励んでいた時、父の事を「スゲー」と言っていた記憶が浮かびました

ヘビースモーカーだった父は、50台に入って「やめる」と禁煙を宣言し、さくっと卒業しました。

やめたくても止められず、苦労していた弟には、そんな父の意志の強さが「スゲー」だったようです。

もうタバコのお供えも要らないようですね。

 

現世へも、他界へも、良き事がありますように♪(^人^