イメージを伝えるって難しい

名が変われど、姿変われど、ソレはソレ。
氷になっても蒸気になっても水に戻っても「H2O」(笑

名前って、人間が「何か」の認識に言葉を使ったから、出来たんじゃないかなー、と思います。
奇麗なモノ、あったかいモノ、好き、嫌い・・・
この物質世界では、心で感じている「何か」を伝える為に、人間が選んだ手段が「言葉」だったんでしょう。
触れるモノなら、何かの彫刻で再現出来る。
目で見れるモノなら、絵でも良し。
ただ、近年なら安易に制作出来ても、大昔は無理w
だから、声を発するだけで伝わる「言葉」が広まった。

大昔からある世界中の神様の名前も、多分、世界の一番上に、とにかくすごい存在がある事は理解していて。
誰も名前も解らないけれど、天の中心にとにかくすごい存在があるのは解っていて。
「とにかくすごい何か」と言う漠然ながらも畏怖と敬意を込めて、自分達で名前を付けた。
世に「アラー」や「ヤハウェ」や色んな名前で呼ばれている「天の中心にいる神様」も、実は住む地域によって呼び名が違うだけで、根っこは同じ存在かもしれない(笑

そうすると、「百聞は一見に如かず」のことわざって、すごいw
例え言葉が違っても、写真や画像なら見た瞬間にイメージが伝わり、意思疎通が出来る。
日本ではお馴染みの「今川焼き」は、都心に多い呼び方。
北海道から青森、岩手では「おやき(浅草焼)」。
日本海側の秋田~名古屋、四国も?「大判焼き」。
京都や大阪、九州に行くと「回転焼き」。
何故か広島では「二重焼き」。
でも現物の写真を見せられたら、皆が一目で「あれか!」と分かるw

コンビニに並ぶ冷凍「今川焼き」の袋を持って
「おやきだ!間違ってる!」
大判焼きが正しい!」
「どれも違う!回転焼きだ!」

──全部一緒や(・´д`・)

でもよく見ると、名前に使う言葉(文字)には、意味がある。
今川や大判や回転の前に「焼き」もの。
まずイメージがあり、それに「言葉」があてられる。
意味のある言葉(文字)を繋げて出来た「名前」が、違う意味で使われるようになったら、大本のイメージとは違うものになってしまう。

北海道民が「おやき」を注文して、長野の「おやき」が出てきたら・・・(笑
言葉(文字)で表すと同じモノなのに、現物(イメージ)は、何故こんなにも違うのだろう(笑

言葉も名前も呼び名も、常に変化していくもの。
名が変わっても、その名前が表しているイメージは、不変。
「言葉」は人間同士がイメージのやり取りをする為に使う手段。
何でも「言葉」で表そうとするから、漠然とした存在の正体(イメージ)も「言葉」で表し、やっと理解する。
だから「名前がバレる」→「正体(イメージ)がバレる」っというのも、解る気がする。
言葉の使い方を間違えれば、届くイメージも変わる。
そこで誤解が生じて、育てば大きな事件になる。
何故人間には「言葉」があるのかな?
動物は鳴き声で正しく意思疎通できているのに、人間は何故こうも意思疎通が難しい?
余談ですが私が野良猫に話し掛ける時、感情を込めて鳴き真似すると、去ろうとする猫も振り返ります(笑)
イメージ(思い)が届いたのかな?
しかし人間同士の言葉のやり取りは、とにかく複雑で、難しい。
全ては人間同士での、他者との関り方の修業の為?
これまた厳しい修行で泣けてきます( ノД`)…


霊的な世界や神域では、テレパシー的なモノで意思疎通出来てるみたいです。
向こうには、イメージを伝え合えば一舜で理解出来るから、名前も言葉も、文字も?必要無いのかも知れません。
そんな世界の存在が人間と交流する時、人間の記憶の中から、伝えたいイメージに合った「言葉」を探して、使っているのでしょう。
逆に言えば、名がない存在と言うのは、人間との関りがない、人間との接点は必要ない(なかった)と言う事なのでしょう。
人間と関わる事で、人間の言葉で名が付けられる。
名が付いていても、人間との関りが消えれば、名も消える。
関りが消える = 忘れられる。
なんか寂しいですね。。。